さすらいのおいらが今日も行く。 strongbow is walking around there.

2010年4月4日日曜日

Кавказ

曽我部恵一BANDの曲に「永い夜」という曲がある。
この前のモスクワ地下鉄自爆テロをニュースで聞いて以来、この曲がまだ脳裏でハウリングしている。開けない夜、深い闇。


 「チェチェン自爆テロ事件の特徴として、実行犯が女性であることが多い。夫や子供を殺害された    チェチェン人の妻や母が、激しい復讐心と愛する人を失った絶望感の中で、報復のためにテロに関与する傾向が強く見られるからである。「黒い未亡人」という夫を失った妻のテロ組織も存在すると言うが、自主的に、というよりは、グループの実態を知らぬままに仲間となり、テロに関与させられるケースが多いようだ。(ユリヤ・ユージック 『アッラーの花嫁たち』WAVE出版、2005年)」
廣瀬陽子 『コーカサス 国際関係の十字路』 集英社 2008年 p.92

憎しみの連鎖だとか、そういう陳腐なセリフはもううんざりなんだけれど、女性を使うっていうのは本当にひどい。社会的にも母性を傷つける上で嫌悪感を覚えるし、そういう行為が愛情表現の一形式として現地で認められていくような風潮があればなお嘔吐感を催す。

日本に置き換えて考えてみると、17歳の少女が、惚れた男が権力に殺されたから、学校の制服とか私服の下に爆弾を抱えて地下鉄に乗るようなものだ。そして無関係の(正確にはロシア政府のチェチェン圧迫を座視している点で無関係ではないが)ロシア国民を大量殺戮する。

かつて、テロを行うのは自分の存在の価値がテロを行わないでいる状態では恐ろしく低く、その方向に存在意義を見いだせないからだという話があった。そういう意味では、秋葉原連続殺傷と、今回のモスクワテロは、嫌な部分で共通点があるのかもしれない。すなわち、社会で見下される人々の一発逆転としての自爆行為。いじめられっ子の両手ブンブン作戦。

戦争は多分なくならない、と曽我部さんは歌い、僕らはそれに納得して悲しくなる。そんな僕らも、裏では途上国の安い労働力で消費財を大量生産させ、100円ショップや価格破壊点で物品を買いあさり、マクドナルドで食事をすませる。誰かが贅沢をしているときは必ず誰かが不幸になっている。その不幸が連続すると、不幸に倦んだ人々が逆転を図って暴動に出る。テロが横行する。

やはり、どこかで僕らは欲を抑制し、
少しずつでもいいから罪滅ぼしをしていくしかないのかもしれない。


    

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